ふるさと納税をやってみて その2

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ふるさと納税で佐賀のお酒をもらった。3本あったのだが1本はもう冷蔵庫に入っている。ありがたいこと。

 

私は佐賀県小城市に寄附した。小城市にゆかりはないが、日本酒のお返しのいいところを北から探して行ってここにたどり着いた。ゆかりはないけど佐賀がいいところなのはよく知っている。肉も魚も(川魚を食べる文化もある)酒も美味しい。

寄附金税制は私には難解で、6年前の震災のときにたまたま日赤に寄附をしてやっと仕組みが分かった。一方でふるさと納税はやはり「ゆかり」に拘っていたところもあり、踏ん切りがつかなかったのだが、これも数年前にたまたま地方勤務の機会を得て、地方がどんなものか少しだけ分かった。だから都市に住む者は積極的にできることをしないといけないと思った次第。

 

政策として筋が悪いという意見も根強くあるし、金持ち優遇とのキャンペーンを張る新聞もある。私は金持ちではないし、たいした給料をもらっているわけではないが、それでも給与所得控除の上限カットや社会保険料の間断なき引き上げで、キャッシュはジリジリと回らなくなっている。国民の納税義務は喜んで、というかプライドを持って果たしているつもりだが、行政サービスが一定以上の所得の人に冷たく、あえて言えば何もしない人に寛容なのはよく知っている。

何もしないのなら納税もなく、ふるさと納税もない。各種の補助金制度やら行政サービスの仕組みを見ると二重課税ではないか、という気持ちがときに拭えない。プライドを持って納税させてもらっているので、せめてみんな同じように扱って欲しい。納税額に応じた選挙権をくれとか言っている訳ではない。自分に課せられた賦課の範囲で多少の裁量を認めてくれたらそれで十分。だれかのなにかを邪魔しているわけでもないし、こうやって小城市とのご縁が出来て、天山が飲めて幸せだ。

 

ネガティブなことをいうメディアは、だれでも「ふるさと納税」ができますよ、ということをもっとPRすればいい。所得がなければ「納税」は出来ないが、この仕組みは「寄附」だから収入の有無にかかわらずだれでもできる。自分の意思で自分のおカネの行き先を決めることはとても大事だ。食べていくので精一杯、それ以上は自分は関係ないです、という人と同じレベルで公論を張ってはいけない。逆に自治体も返礼なしの政策一本で寄附を募ったらいいではないか。特定の機能を持った医療施設を作る、小学校に宿泊施設を作ってキャンプ的な生活体験の場を設ける、高齢者の就業機会を作るための教育投資をする、等々。自分のおカネでそういう貢献の機会を求めている人もきっといるはずだ。そして、その気持ちには収入の多寡との関係などないはずだ。