会社員を辞めてみた その2

その1では、給与所得者であり続けることのメリットが失われつつあることを説明した。もちろん子育て支援など、社会的にサポートされるべき理由のある層・世代は、われわれのような中間管理職からアラ還を迎えた世代とは違った状況にある。ここでは昭和30年代前半に生まれた、団塊の世代の通り過ぎた跡を歩んだ世代が経験していることに基づいた判断としてご理解いただきたい。

私の場合、たぶん多くの同世代の勤め人がそうだと思うが、65歳まで、あと5年程度は働ける状況にあった。企業には法令上雇用義務がある。ただし給与はかなり引き下げられるのが一般的な世の仕組みになっている。私の場合、恵まれたことにおそらく給与レベルはあまり下がらない。しかし、そのことが企業の側からみれば、フルタイムで現役並みの働き方を求める錦の御旗となっている。

 

そこそこもらっている限り、いや給与レベルとは関係なく、与えられた職場でしっかり働くのは当たり前のことで、それに不満をいうつもりはない。自分は一生懸命やってきたと自負しているし、個人的には、なんだかんだと言い訳を作ってしっかり働こうとしない人たちへの不満の方が強かった。だから、この年齢で体力・気力が充実しており、モラールが失われていない人への負担はいっそう大きくなる。

他の人たちの言い訳の後始末をやるのは、あと数年しかないキャリアの時間軸の中では全くつまらない。若いときに企業の中枢の仕事で経験を積むのと、いい年になってから経営層に上がる見込みもないのに管理仕事に関わるのは全く違う。現場仕事なら、それなりの過去の経験も生かせるし、個人の裁量も効く。日々の仕事を日々、楽しく終わらせて行ける。

モラルハザードと言ってもいい。私の在籍していた会社はいわゆる「第二の職場」で緩さが蔓延していた。そこでトップが代われば、とうぜんいつまで甘いことをやっているのか、という変革マインドが燃え盛ってくる。しかし、所詮は動かない人は動かない。懸命にやる人は、頑張らない人には絶対に勝てないという矛盾がつきまとう。彼らも身分保証があるからクビにならない。

 

会社を辞めればすべて自分の頑張りは自分に返ってくる。他の人のカバーをする必要はなくなり、自分の稼ぎをしっかりと作っていけたらいい。もちろん、どこまで行っても人の世は貸し借りの世界なので、それはそういうものと受け止めたい。自分が楽しく働けなければ意味がなく、他人をサポートすることも自己実現のうち。助けてもらうことも多々あるわけでお互いさまだ。それでも企業の、アラ環世代でのモラールの欠如はまことに遺憾な事実。

 

そういった情緒的なことは別にしても、経済的にも給与所得依存者の呪縛を抜け出るメリットは存在する。とくに企業年金iDeCo、私的な年金保険などの自助努力をしてきた人には絶対に知っておかなければならないことがある。次回、その話に入る。