会社員を辞めてみた その1

長らくブログを更新していなかったので、自分でも唐突と思うが、実はこのタイミングで会社を退職した。60歳。いまの世間の流れから言うと少し早い。

 

ベースの環境を説明すれば、既婚、子どもは2人いるが各々経済的には独立。親世代はもうだれも残っておらず、配偶者の同意さえあればサラリーマンを辞めることに障害はない。経済的な面は、これはいかに気楽に生きられるか、主観的なレベルの個人差が大きいので何とも言えないが、私の場合は最低限度のセーフティネットはできた。

セーフティネットとはなにか? いくら貯蓄があってもそれを取り崩すだけではセーフティネットがあるとは言い難い。人生100年の時代ではいつかは蓄えは尽きる。公的年金は重要だが、現在60歳の男(1958年生)が特別支給の老齢厚生年金にありつけるのは63歳からだ。私の場合は不動産所得が前年から発生して、そのおカネが一つのセーフティネット。借り入れはなく、都心部流動性の高い住宅物件なのでいざとなればそれを売れば何とでもなる。65歳からは基礎年金、厚生年金、企業年金の3つが稼働するので心配はない。

 

一方でいまの仕事を放り出すことについては、2つ問題があって、

①勤務先とのいわば「貸し借りの関係」の中で不義理をしていないか

②辞めて失うものと、辞めてから得られるものとの関係はバランスが取れているか

はじめの「貸し借り」「不義理」という懸念は、いまどきの雇用関係ではほとんど意味をなさないかもしれない。退職代行業がまかり通る時代では、退職ついてのハードルは慰留等への対応などの不毛なやり取りであって、そのような雇用関係ではもういつ思い切るか、それを容易に実現できるかが問題だ。われわれの世代では、長期的な関係をこちらの一方的な都合で離脱することに、チームの一員としてわがままと取られないことが重要となる。いい思いばかりしてさっさと辞めて、と後ろ指を差されない工夫が要る。ここで人間関係がバッサリ断ち切られるわけではない。

 

2つめは誰にでも当てはまる。経済的に失うものが大きければ勤めは辞めない。当ブログで何度もこの点を主張してきたのだが、最近の税制・社会保険制度の改正では、あまりの一定の所得階層からの深掘りを進めたため、経済的なメリットはどんどん失われていった。実は私の場合は、2018年の確定申告で、配偶者控除がゼロになった。

 

配偶者控除の分かれ目は「合計所得金額9百万円」である。9百万円を超えると配偶者控除が縮小し、その分税金が増える。その他の控除を勘案すれば所得税率23%、地方税10%の段階にあたる人が多いと思うが、これだけで33%、さらに重い厚生年金保険料が賞与・給与に関わらず乗っかる。仮に年収が給与収入だけで1千万円を超えるような好待遇の高齢者サラリーマンは、実感とすれば9月以降はほぼ額面の半分を政府部門に還元している。

9月以降というのは、1月から給与収入を積み上げていって、最初はとうぜん税金が取られ過ぎの状態が続く。例えば、額面の月給が50万円で1月から3月まで働いて退職すれば、その年その他の所得がない場合には、源泉徴収された所得税はほとんど還付されるだろう。額面給与が変わらなければ源泉徴収テーブルは変わらず、一定の料率で徴収され続けてその総和がほぼ、出来上がりの年間所得税額に一致する。限界税率適用で積み上げて得られる総税額を、12回プラス数回の賞与へ、いわば割り算でフラットに平均化して賦課する仕組みが源泉徴収制度だ。どれだけ実効税率の累進性が立っているのか、政府税調でもそのような資料をみたことがないが、最後の数か月の稼ぎの結果大きな課税が発生する(というか正当化される)。ならば一定の所得に達すれば、そこで限界税率が実効的に40%くらいになってくるので、稼ぎを止められたらいい。

そんなことは実は、自営業者なら誰でもやっていること(のはず)だ。サラリーマンは日々の業務から逃げられないので自分の収入をコントロールできず、したがって納税額もコントロールできない。唯一できるのは、途中で退職する場合だけだ。このカードをいつ切るか、定年まで機械的に勤務するとその裁量すら(戦略的には)一度も使えなくなる。

私は2019年をまるまる働くと、自分の割に合わない公的負担を負わさると考えた。それがその先も数年続くと思うとあまり楽しくはない。逆に言えば、辞めて失うものは確実に小さくなってきたのだ。

7月の参議院選挙の直前に2018年の税収が発表されたが、60.4兆円でバブル期以来の記録を更新、所得税は4千億円の「上振れ」と報道された。これは上振れでも想定外でもなんでもない、確実に取れるところから取る政策は、安倍政権の発足以来この政権の意図することと関係なく浸透している。なにが問題かたぶん政権の中枢は理解していない。その一方で財務省は10月に消費増税まで手に入れる。政権との距離が近いとも言えないのに、ここまで持ってきたのはさすがだ。これらのことを指摘しないのはメディアの怠慢ではないか、不作為での財政当局支援ではないかと疑いたくなる。一連の働き方改革の中で霞んでしまった論点だと思っている。

堅い表現で説明すれば以上のような事情で、その気になればサラリーマンとしての適正な働きと稼ぎは自分で決められるはずだ。そういう判断で給与所得のコントロールに挑戦した。実は失うものは額面より遥かに小さい。では得られるものはなにか。その2へ続く。