「選択制確定給付年金」までできていったいどこへ向かうのか

週末の日経新聞に、オリックスの提案する「選択制確定給付企業年金」が紹介されており、パート社員向け退職金制度の導入を検討する企業が増えているそうだ。

当然ながら、時給は上がる、103万円のカベはなくならない、勤務時間は増やせない、人は採用できない、企業は大きな社会保険料を負担したくないし、パート世帯は配偶者の配偶者手当を手放したくない。そういう事情がこのような仕組みを生み出した。

 

一方で大きな流れとして、退職金制度自体をなくして、確定拠出年金等にシフトする傾向が一部の大企業で始まっている。稼いでくれたらドカンと払うので、その後の自分の人生設計は各自でやってください、という流れ。

いま一つは同一労働、同一賃金。家族手当などはなくなっていく方向で、そういった事情は税制で考慮すればいい。企業はシンプルに仕事と報酬の関係を整理したらいい。

 

ところが、こんなことになってしまって、企業も働く側もいったいどうしたらトクなのか一生懸命に考えないといけなくなった。

 

もう一度よくよく考えてほしい。日本経済が直面していることは、高齢化、それがもたらす労働人口の減少・年金財政の危機。産業構造が硬直的で、新しく雇用を生み出すようなうねりに乏しい。過重な労働形態は依然として消えないし、ソフト化・サービス化の進展は著しいものの、もっとシンプルなサービスにして、余計なエネルギーを費やしているところは改めて行こうという流れも出てきている。

 

ならば、単純に、働いて稼げれば日銭にもなるし、家庭として楽にもなる。老後資金に振り向けるなら一定の税のメリットを付与するということでいいのではないか。妻が(夫が)一定以上働くと家族手当の対象外にして、配偶者の収入を調整する仕組みに合理性があるのか?

働いたら楽になる。老後資金を蓄えても楽になる。働き方はみんな生活を、人生を犠牲にしないようにデザインする。そして何より大事なことは、正直者がバカをみないような制度設計をする。

 

それならば、

  1. 課税最低限を上げて、税率をフラット化する。しょせん日本は格差の小さい社会で、働く人はいっそう頑張れば相応に報われる素地がある。それを過剰な累進性で抑える必要はない。
  2. シンプルに家族手当等をなくしていく。子供を育てることや、夫婦の単位を守ることは別の公共政策を割り当てる。働き方改革で、企業は自由な余暇時間の提供に努める。夫も妻も働く、ということを前提に社会設計をする。働けない人はその理由に相当性があれば、社会で支援する。そういう意味で配偶者控除なり、夫婦控除を再設計する。公務員の給与体系に家族維持機能が強く残っていること自体が、アンシャンレジームのしぶとさ。
  3. 年金は個人単位の金融資産に組み替えていく。公的給付としての性格を薄めて金融資産化する方向とし、そのような税制とする。稼得に課税するのは労働対価としてフラットに、金融資産の果実に課税するのもフラットに。消費に対する課税もフラットに。

基礎控除上げ、給与所得控除を一定のレベルから絞って(要は累進性の強化)、公的年金控除も一定レベルから絞る(まったくの後だしジャンケンで受給者はもうお手上げ)、というパッケージはあまりに政策としての正統性に欠けると言わざるを得ない。

企業の領分と政府の領分を切り離して、企業にはもっとまともな勤労機会を提供することにエネルギーを投入させた方がいい。おカネと時間で報いさせたらいいので、制度的な負担は軽くさせる。あとは政府の助けと自助努力でやればいい。