排除の論理? だれが仲間を決めるのか

希望と民進党の合流で、「三権の長」経験者は入れないという報道があり、その後微妙な軌道修正がなされている。野田元首相は無所属で出るだろうし、先に出て行った細野氏の股をくぐるのには耐えられない、というのは当然だろう。

合流したのか、民進が解党したのか、いまだに私にはよく分からない。連合の神津会長が動いているのだから解党ではないと思っていたのだが、だとすれば、だれを入れるいれないというのはよく分からないハナシだ。

 

政党は、そこに残るのがイヤな人が出て行けばいいのだと思う。かつての自民党では内閣不信任案で派閥抗争が表に出ることもあって、それでも基本理念が同じなら党を割るということもなかった。基本的な理念・価値観にも幅があって、自民党でも安保法制に反対の人もいれば、民進でも賛成者はいる。共産党公明党の議員を除けば、流れ流れて今の位置にいるという人もいるだろう。

だから今回の合従連衡であらためて調整を図るというのは分からなくもないが、それが安全保障に関する考え方、というのはこの時期になぜという疑問が残る。

 

やはり今回の総選挙の争点がハッキリしないことに戻っていく。小泉さんの仕掛けた郵政民営化選挙では、とにかく政策を進めるために議会を取り替えたいというクリアな意図があった。除名して刺客を立ててというのは排除の論理の最たるもののように見えるが、この場合は闘争であって選挙区で1つのイスを争うのだから、当たり前のことだ。

希望は、維新は、今回の非合流者、例えば野田氏や辻元氏の選挙区に刺客を送るのだろうか? 政策実現のためなら、ためらうことなく対立候補を送るべきだろう。これが権力奪取のためなら? 国会で同じ方向を目指す議員を最大化しなければならないので、別の配慮も入ってくる。

 

政権を取らないと政策も実行できない。ただし、争点のない選挙では、有権者の多数の意思が必ずしも出来上がった政権の政策に反映しないことがある。安倍さんは小池さんではダメな理由をハッキリ指摘して、支持を求めればいい。いまは民進が希望に抱きついたようにみえるが、希望が維新と自民の一部に抱き付いているのではないか? この時点で誰かを排除するという論理には違和感がある。