やっぱり来ました所得税改革 その9

もう何度も同じことで申し訳ありませんが、公明党自民党案に乗り切れず、微調整が入って、増税ラインが850万円まで切り上げられる見通し。

抜本的なところの見直しにはならず、ホントの微調整に止まりそうだ。

特段、政策決定プロセスの問題でもなさそうで、まあそれだけのことに終わるのだろうか。実施が2020年のことなので、まだ紆余曲折はあるとみていいかもしれない。

 

物価が上がらない世界で税の自然増収というのがなくなってしまった。インフレが起きていた時代は所得税も微調整で減税されていたが(かつてのラーメン減税とか)、デフレ下なら逆に微増税していくのかもしれない。けど歳出の方だってデフレ下で削減できるはずなので、なんだか理屈はスッキリしない。

 

ここ数ヵ月、自分なりに勉強したが、とどのつまりは政府の支出を吟味しないとダメですね。けど一方でムダな支出も経済を動かす原動力になることも事実。倹約はシュリンクを生むのでマクロの拡大均衡にはつながらない。それなら政府支出より個人消費でエンジン点火したいよね。

納得ずくで税金を払うようにさせてください、それが唯一の願い。子育て支援で必要というなら求められれば払うが、なぜ必要かをだれも説いてくれないのが不満。公明党もそういうハナシで巻き返してくれないものか。800万と850万を比べることにあまり意味はない。

いままたイスラエルの混迷

イスラエル建国は、むかし「栄光への脱出」という映画で見た。今調べたら1960年製作なので、そう古い映画でもない。

子供の頃はこの話がよく分からなかった。もちろんユダヤ側の視点で描いたのだろうが、「アラビアのロレンス」ともどもアラブは難しい、少なくとも日本人には遠いイメージを抱いていた。

けど西洋も東洋も一言で片づけられないし、中東は言うに及ばない。近い韓国、中国とは心は遠いところがあるし、遠くの国でもドイツみたいに似た発想の人が多く感じる国もある。モンゴルも顔は近いが心は違うなぁ。アラブ諸国にはなんの違和感もなく、高潔な人間性すら個人的には感じる。ユダヤ系にもとうぜんなんの遺恨もない。

 

栄光への脱出」は1年くらい前にBSか何かで久しぶりに見て、あれ、こんな映画だったのかと思うくらい、強いバイアスというか、偏った主張という感触を持った(ことに自分でビックリした)。初めて見てから数十年、自分のものの見方も変わったし、もうこういうメッセージをハリウッド映画で伝えようとすることはムリなんだろう。

 

こんどこそトランプ大統領の発言・行動が直接、暴力を伴う闘争に発展していくかもしれない。この人をトップに据えていても、アメリカの官僚制や軍の自制が働く限り、そう酷いことにならないのかな、と思っていた。しかしそれは甘いのかも。

難しい時代が迫っている気がしてならない。イヤだな。

自分がもっと学ばないと。いまでもそうだが、若いときはもっと物事を表層的にしかとらえていなかった。その一方で先入観もなく、直感的な物事の把握はずっと鋭敏だった気がする。知識を更新しつつ、先入観を捨てる訓練をしないといけないと強く感じている。

やっぱり来ました所得税改革 その8

とうとう決まってしまいましたね、所得税増税。後になって、あーあ、やっちゃったー、ってことにならなければいいのですが。

 

私は今月で59歳。増税の2020年には62歳に到達。この年代の人で、それなりに将来のこと、老後のことを考えてきた人は、どんだけ働いて、どんだけ年金を受け取ってというバランスを考え抜いてきているはず。

こういう税制改正を行うと、給与所得なんて必要な分だけ働いて適当に抑えておけばいい、という結論にたどり着くことは必至で、かなりの人が特別支給の老齢厚生年金をヨコにらみで、給料、年金、そして事業報酬のベストミックスを求めることになるだろう。

 

税制が働き方に影響を及ぼすことは避けられず、それが労働力の供給、しかも、それなりに上質の労働力の担い手が労働市場から出て行くことを政府は覚悟しなければならない。

年収800万円以上のクラスって、大企業、中央官庁の中堅レベル以上の給料だろうから、まあ実際にはそんな心配はいらないのかもしれないが、例えば年収1千万円、特別支給の老齢厚生年金が200万円もらえるのなら、2020年の6月で退職したら、その年の年収は500万円ほどになって、どちらもフルの控除付きで受け取れる。もちろん、その人のお誕生日次第ではありますが。

 

2020年の夏か。東京2020五輪・パラリンピック大会は7月24日からスタートだ。私もその辺で勤めを辞めて、しばらくはのんびりしようかな。いままでもそんなことを考えていたが、今回の税制改正はひとつ背中を押してもらったような気がする。65歳のフル年金支給開始までを、食いつなげるおカネのメドが立てば、また違った人生の選択肢を探りに行けるかもしれない。

そう思えば悪くない税制改正とも思える。「働かないという選択肢」の価値を相対的に上げてくれた政策だ。そちらが(国が)そう出てくるならこちらにも考えがある、という流れになっていくよね。とにかく決めてくれたことに感謝しますので、消費税増税みたいに先送りしないでくださいね。まあ95%のサラリーマンにはニュートラルだからこれからの選挙で負ける心配もないのだろうし。

そもそもこの10月の選挙結果が引き金を引いた増税だから、「排除増税」とか「小池増税」とか呼んだらどうでしょうか。なんだか2020年は大転換の年になりそう。

野毛の夜は更けて、いいお店がたくさん

久しぶりに横浜の野毛で友人と飲み。しばらく首都圏から離れていたので、懐かしい野毛の夜を楽しんできました。

 

今日の出色は大岡川沿い、都橋商店街2階の「華」。紹興酒、水餃子、ピーナッツそば。パクチーレモングラス、レッドビネガー。久しぶりに素晴らしい、丁寧かつオリジナルな食べ物に出会えていい夜でした。容子さんとおっしゃるらしい。また行きます。

 

関学ファイターズ、甲子園ボウル出場おめでとうございます!

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アメリカンフットボール大好き、今年もこのシーズンがやってきました。

甲子園ボウルが全国大学選手権になってもう10年近く経つと思うが、依然として関西学生リーグと関東学生リーグの優勝校が圧倒的に強くて、他地区に出番が回ってこない。

 

関西学生リーグは今年から2位校まで西日本代表トーナメントに出られることになり、ご承知のとおり、関西学院がリーグ戦では敗れた立命館大学にリベンジを果たして、甲子園出場を決めた。

 

わたしはもうずっと関西学生リーグの試合を見ておらず、今回の関学立命の2試合も見ていないのでああだこうだいえないが、こういう結果はおおいに予想できた。かつて京大や近大もプレーオフになったときに関学に負けて甲子園出場を逃したことがある。

関学は前半と後半でもガラリと作戦を変えてきて、どうにもならないと見えた試合をひっくり返す力がある。日本選手権のライスボウルでも、学生が力負けするXリーグの覇者を慌てさせる作戦力は素晴らしい。今シーズンもぜひ甲子園で日大に勝って、ライスボウルに出てほしい。元々関西人なのでそこはえこひいきである。

 

それでもプロ野球セリーグ覇者のカープをさておいて、ベイスターズ日本シリーズに出たような違和感も多少残る。

もう一つは、せっかくの関学立命の試合が2試合とも、割とひっそり?開催されているのではないか、盛り上がりはどうなんだろう、という点である。

 

アメリカの大学フットボールは大ビジネスで、同じリーグでもホームでやる年とアウェーの年がある。同じリーグで頭抜けて強いチームが2つあったとしても、必ずしも最終戦近くで相まみえることはなく、何年も前から決まった日程に従ってゲームは行われる。最終戦は地元どうしのライバル戦になることがふつうで、ワシントン州ではワシントン大学ハスキーズとワシントン州立大学クーガーズでアップルカップと銘打って、感謝祭の頃にやる。今年はどちらも強くて盛り上がったようだが、仮に負け越していても盛り上がりはまた別格である。

関西学生リーグは前年上位校が下位校からこなして行って、最後に1位2位が戦うという、相撲の取り組みのような仕組みである。ふつうはどこもそうなるだろう。

 

しかし2位になっても甲子園ボウルへの途が残っているのなら、思い切って序盤に強豪同士の試合を組んでもいいのではないか。チーム力のピークをどこに持ってくるのか難しいところはあるが、短い期間で再戦する可能性が高いいまの仕組みでは、先手を取ったチームは、よっぽど力量に差がない限り不利に見える。手の内を見せたら負け、みたいなスポーツなのである。

間に2ヵ月ほど空けば、かなりその辺は緩和される。シーズンが進むうちにいろんな調整が進んでチームのカタチも変わっていくからである。

 

もっと抜本的な方法は、関西2位と関東2位が、それぞれ相手方のトーナメントに入ることである。今年の例で言うと、仮に関学が東に回って日大に勝てば、甲子園ボウル立命(関東2位を下すという前提で)と再戦することになる。昔の甲子園ボウルの位置付けは、西のチャンピオンが東のトップを招いて行うゲームだったから、それはあり得ないことだが、いまは大学選手権なので真のナンバー1決定戦にすればいい。西対西、東対東を厭う理由はないはずだ。現にラグビーは関東の対抗戦グループで決勝になることが多かったし、それはそれでもいいのではないか。

 

要はいい試合を見たいのである。特に首都圏在住だとアメフト飢餓状態になることが多い。10日には法政大対京大が川崎で行われる。日程が合わなくて行けないが、来年はぜひ観戦したい。

 

 

 

 

 

森林環境税、なんだかよく分からないけど

私はサラリーマン時代には税のプロではありませんでした。経理部門でもなかったし、実務は全く知らない。社会保険と税に巻き込まれたのは、若い頃に出向人事と、海外勤務に出て行って非居住者としての課税扱いになったため。そのときに、会社は対応を指示してくれなかった。しかし、それは当たり前で、知らないと自分が損をするだけだ。

 その頃に一番焦ったのは、女房の国民年金保険の3号被保険者扱いが失効していたこと。形式的な転職を繰り返したため、何がどうなっているのか知らないが、空白期間ができてしまった。その辺から真剣に自分のことは自分で考えよう、みたいになっていった。

 

今年の税制改正で森林環境税が採り上げられそうだ。背景は正直よく分からない。方法論としては、個人住民税を支払っている国民に一人1千円の負担を求め、およそ600億円の財源を作り、市町村に配分する。出国税も1回1千円だそうで、千円札の軽い扱いがよく分かる。

 

思うことは2つ。

 

税金ってホントにサラッと決まってしまう。これがマンションの管理費の値上げだとたいへんだ。総会で必ず反対意見はでるし、他にこんなやり方もあるとか、管理会社はもっとマジメにやれとか批判を受ける。高齢化のため、年金生活では負担増は苦しいという声も出てくる。

およそ受益の思い浮かばない新税がポンと導入されるのはなんだかなあと思う。こういうことができるのは徴税システムがはしっかりしているから。それにもいい面があるので文句は言いますまい。

 

もうひとつ、昔、30年近く前だと思うが、「緑のオーナー」というものに投資した。国有林の権利を信託受益権にしたもの?かな。50万円でした。こどもが独り立ちするころにまとまったおカネに育たないかなと願っていました。

しかし、知らないということは恐ろしいこと。およそ日本の木材価格が上がる可能性などなかったのだ。在来工法の住宅の需要が高まることはない、供給サイドは外材との戦いに勝てない。およそインフレの起こる要素は考えられず、一次産品の値段など上がらない。これが祟っていまだにコモディティ投資にトラウマを感じている。

最終的な出口は、期限を2年ほど過ぎて(要は入札不調が続き)、なんどか共有者の意思統一を図りつつ、やっと現金化した。15万円くらいになっただろうか。日本の林業は厳しいなと思い知らされた。

 

この投資のウラで行ったのが年金保険、お宝の5.5%で元気に成長している。天と地ほどの違いを生んだ投資だった。

なお、緑のオーナーの損失は山林所得の損失となり、経常所得と損益通算できる。私の例でいえば50万円―15万円で35万円の所得控除が発生したのと同じような感覚。これも当初落とせると思っていた年から2年ズレて実現した。要は入札不調で売れなかったので実現損が出なかったから。いつ損失を出せるか、というのも投資では大事なポイントだ。売りたいときに売れないものを投資とは呼べない。