経済政策の変更こそためらうことなく

7月17日の、3連休明けのマーケットで円安=株高の動きが見られたとき、違和感がこみあげてきて前回の記事を書いた。今日も円高方向の動きが一服、日銀が政策維持のメッセージを出したことから、安心感が先行するのだろう。

 

金融政策は、いまのゼロ(マイナス)金利政策がもたらす副作用への対応が焦点となっている。金融機関の経営体力は、現在の金融政策と、構造的な要因の両面から劣化が著しい。後者について言えば、もうリアルの銀行支店など置いている意味がない。

この1年で不動産関係の取引、金融取引をかなりの頻度で行ったが、銀行の施設に行ったのは借入関係の手続きで1回だけ(私はアラ還なので借入人ではありません)。ほとんどのやり取りはネットで完結する。不動産の売却も銀行の応接室を頼むことなく、容易に行える。

銀行の金融仲介機能を否定する気はなく、預金も借入も必要に応じて活用しているが、もう人も店舗も要らない。昔なら大きな金額の預金が滞留したらなんだかんだと世話を焼いてきたものだが、個人情報利用の縛りもあり、また金融マンのアニマルスピリットの弱体化もあり、迫力のあるセールスはいまは全く聞こえない。金融リテラシーが一般に向上しており、中途半端なプロは存在意義がない。

もうリテール金融機関のビジネスモデルは終わっているとみた方がいい。それでも全国的に安定した最低限の金融サービスの担い手は必要だから、そういう仕組みの組織に作り替えればいい。大事な点はソロリと変革することで、1つ2つ犠牲者(破たんする金融機関)が出たりすると、大きなパニックになるおそれがある。そのときに日本売りになって金利上昇と円安の同時進行になったら本当に困る。

 

金融政策を変更しても、特に上にも下にも影響を及ぼすことはないのではないか。副作用に対する言葉は、本来の作用、本作用というのだろうか、それがあまり効いていないように思える。累積的効果も理解するが、とにかく金利を下げることで前向きの投資におカネが回ると思えない。マネーもプロジェクトも足りているが、リターンを返す確信が持てない。

需要の拡大をもたらすものは何か。生活の利便性の追及はまだまだできるのだろうが、例えば時間の制約がキャップになっていないか。1日は24時間でしかなく、非正規労働が増えたがために、かつてよりも労働の約束事が多くなっていないか。かつては正社員の時間拘束は、むろん大残業でタダ働きもあったが、わりとゆったりしていた。いまは管理職は誰よりも早く出勤する、パートは決められた時間にピッタリ職場入りするなど裁量は効きにくい。

楽しみたいもの、便利なものがあっても時間が自由に使えない。ヘンにリジッドになっていて、形式的に時間に拘束されないと食べていけない。首都圏の通勤電車は混雑を緩和できず、まだ新線投資が計画されている。人口の首都圏集中も分かるし、外国人の増加もそうだが、なんだか20年前に思っていた世界と違う。

 

おカネのかからない政策変更として、時間の有効活用を検討すればどうか。例えば、標準時の2時間前倒し。より気温の低い時間を利用できるし、引け後の自由時間が長いのがいい。仕事も欧米と2時間近づくのでお互いに仕事がしやすい。日本の標準時が兵庫県というのは西にウエートが寄り過ぎではないか。日本の東海上、東経150度(得撫島を通るライン)なら1時間しか動かせないが、ロシアにクレームされてもそれくらいやっていいのでは。

あるいは、プレミアムフライデー改め、フリーマンデー。金曜日午後から夜は会社の時間の延長。そんなところで時間をもらっても仕方ない。月曜日午前を毎月何度か休めれば、家族、友人との日曜日が充実できて、午後から夜がもっと楽しめる。

ただでさえ日本は世界中で一番早く夜が明ける経済成熟国で、月曜日の仕事は材料に乏しい。日本人の日曜日夜はもっと使う値打ちがあるはずだ。世界を相手にする企業なら、火曜日スタートの土曜日半ドン終わりくらいの勤務スケジュールを検討してもいいのではないか。情報を消化するビジネスでは後手を取るのも大事な戦略。時間を使いこなして自分の味方につけるのと、やみくもに時間の奴隷になって動かされるのとでは、天と地ほどの違いがある。GWの祝日の並びなどで一喜一憂するのはムダ、ホントにどうだっていいこと。政府の都合で休みを決められていたら生活は楽しめないよ。