やっぱり来ました所得税改革 その10

12月8日に「その9」を書いて以来、久しぶりに所得税改革を取り上げたい。

本日2018年1月22日の日経「経済教室」に三木義一先生が「所得控除より税額控除を」とのタイトルで寄稿しておられる。薫陶を受けたこともないし、不勉強でどんな先生か良く存じあげない。ただ民主党政権下の政府税調におられたようである。

 

ここでは基礎控除が、人間として生活するための最低限の手取り収入を保障するものという考え方が示されている。また給与所得控除が、年末調整を行うため実額控除の代替措置として導入されたこと、公的年金控除が給与所得控除のいわば「スピンオフ」だったことが述べられている。いかなる経緯があって現行の税制が出来上がってきたかを知らないと制度変更の議論はできない、という立場だろう。

また2,400万円を超える高額所得者の基礎控除が消滅することについても、憲法の保障する健康で文化的な最低限度の生活費は、高額所得者といえども奪われるべきではないとの論旨を展開する。

これは拙稿「その7」で申しあげたことである。今回の税制改革では、このような法的衡平性の議論がまったく欠落していて、経済学から入ってきた先生の議論が幅を利かせていた。

私も租税法という講座を学生時代に取ったことがあるが、まったくついて行けなかった。租税法律主義とか言葉は覚えているが、罪刑法定主義ほどには刺さってこなかった。むしろ社会人になってから学んだマクロ・ミクロの経済学の方が税の扱いは鮮やかで、そちらに嵌まった。

 

それがいまになって、法的なバランス感覚、歴史的経緯を踏まえた思考が政策決定には大事だと理解できるようになった気がする。三木先生の論考はここから「所得控除より税額控除を」というタイトルの流れに沿っていく。同じ議論をするのにこれほど見る角度が違うのである。

法学は正義、経済学は効率を追求する。あまりに効率が幅を利かせ過ぎて、正義が巻き返し始めたのがバブル崩壊後の日本経済の大きな流れだと思っていた。しかし税制に関してはそうでもなかった。いろんな専門分野をやってきた人が分厚い議論を交わして方向性を決めていくのが望ましい姿。そういう政府税調ができればいいと願っている。