やっぱり来ました所得税改革 その7

所得税改革については当ブログで疑問を呈してきた。政治的正統性がなく、税の基本原則からも逸脱している、と私には見える。

つまらない揚げ足取りかもしれないが、もう少し、いまの税調に民の生活を分かっている人を入れた方がいい。税の専門家でなくていいので、人の生き方の道理を語れる人を入れないと納得が得られない。

 

所得控除の仕組みは高所得者に有利、だから見直しが必要だと税調は説く。所得再分配機能が弱っていると言い、担税力のある人は相応に負担を甘受すべきであると。

ただし、それがあまりに静的に、一断面を一瞬だけ切り取った切り口でロジックを組み立てていないか。

 

税調のある先生の論考が、また東洋経済に出稿されている。11月14日の当ブログ「その5」でも反論を試みたが、また同じようなことを言わざるを得ない。

以下の議論は、税調メンバーの一部の文章を引用して反論するので、揚げ足取り的な面は否定できない。けど、あまりにも現実とズレた議論なので、素人として「ちーがーうーだーろー」とひとこと言っておきたい。

 

所得税が決まっていく流れは以下のようなものだ。

普通のサラリーマンなら、決められた給与・賞与をもらって年末に至る。ここで1年の「決算」をして税金を締める。

給与収入から給与所得控除が決まって、給与所得が出てくる。所与の給与・賞与から、全く裁量が効かないルールに従って課税ベースの所得が決まる。次に社会保険料控除がかかってくる。これも勤め人の裁量が及ぶことはなく、厚生年金保険料、雇用保険料、健康保険料などが引かれて数字が算定される。

ここまでは勤め人に裁量の余地は全くない。関数に給与収入をインプットすればほぼ正確に課税ベースの所得は出てくる。

 

さて、そこから人的控除が問題になる。基礎控除はそれとして、配偶者を持つか、持ったとして配偶者が働くかどうか、子をもうけるか、高齢の親のことをどうするか云々。結婚するしないは裁量の余地もあろう、子作りもしかり。けど所得税のことを考えて意思決定する人はあまりいないだろう。そういう制度と受け止めるしかない。ぜいぜい入籍するなら年内とか、12月に生まれた子は親孝行とかそんなレベルのハナシ。

 

税のメリットを考慮して、という意味で意思決定するとすればその次の段階。保険料控除で地震保険に入っておこうとか、年金保険もやってみようとか、確定拠出年金で年間27.6万円も落とせる、とかそういうことだ。そこで考える材料が限界税率であり、それが高所得者に有利というなら、それはそのとおり。累進課税を採る日本の所得税の当然の帰結。

 

いま述べて来た各種控除の間に順番の関係はない。総合課税の全体の所得から、全体の控除を差し引くのみであり、高所得者でも限界税率に効く場合もあれば、もっと下の税率の段階に効くところもある。仮に総合課税で1,000万円の収入がある人に、計350万円の控除が適用されるとすれば、それは33%、23%、20%の税率適用の段階のところに順にかかって行く。しかし控除に順番などなく、あえて言えば裁量で決めることができる、保険料控除、確定拠出年金などの控除について、意思決定と税のリターンが紐付きになる。

 

縷々述べたが、ある先生の論考はこんな記述である。

基礎控除とは、所得税の納税者に全員、38万円の所得控除として与えられたものだ」

「直面する所得税の税率が、5%の人は1.9万円、10%の人は3.8万円、20%の人は7.6万円、所得税の負担が軽くなっている」

「同じ38万円の基礎控除なのに、税負担軽減効果は、税率が低い低所得者層には1.9万円、高所得者層には7.6万円以上となっている。それを改めるには」低所得者の控除を増やし、高所得者の控除を減らしたらいい、と説き、累進税率はそのままで控除額を適当に変えて、例えば3.8万円の税負担軽減でみんな同じすることができると。

それならば税額控除のハナシである。基礎控除は所得控除とせずに税額控除にするのか? 揚げ足取りかもしれないが、3.8万円に何の意味があるのか?

 

基礎控除はコントローラブルではないので、個人の意思決定に影響は及ぼせない。決まったとおり税額を求めていくだけのことだ。国が認めるならば認めて、認めないなら認めなければいい。あたかも高所得者がいいとこどりをしているかのように議論を進め、限界税率と絡めて議論をするのはフェアではないだろう。みんな一緒である。

民間保険料を支払う余力のない人は不利だ、というならそれを保険会社に納得させて保険料控除をなくせばいい。確定拠出年金然り。老後資金は自力で確保という政策をもう進めなくてもいいなら、厳しく入り口で課税したらいい。

 

年収2,500万円を超える人は基礎控除すら減らす、という議論が出ている。基礎控除に差をつける、という議論である。同じ人間として大金持ちも清貧の民も、生きるための最低のコストはそう変わらないと思う。稼ぎの多寡はひとによっていろいろある。けど健康で文化的な、憲法が保障する最低限度の生活を営むための経費くらいは、だれでも同じように引いて、そこから課税を決めたらいいのではないか

基礎控除を人によって変えるのは、大げさに言えば、法の下の平等に背いていないか。所得の高い人にも、低い人にも、どちらにも差別的な政策に思える。

 

なんか、自分が古いからかもしれないが、加藤寛さんとか、石先生ならこんな議論するかなあ。現時点の一断面だけ切り取って、その是正を図るような税制変更は大きな間違いを引き起こすと思う。その人の人生を振り返って個々人が納得できる仕組みにしないと、ホントにおかしなことになると懸念している。